『伊月庵通信2023春号』の放歌高吟のエッセイ、そして作品。
読んで下ってありがとう。
真摯なお便り、有難く拝受しています。
自分が書いたものについて、ここまで真剣に深く考えて受け止めてくれる仲間がいること。
冥利につきる、というものです。
◆俳号 平本魚水
◆お便り
組長、兼光さん、カンパニーの皆さま、こんにちは。
昨日、我が家にも伊月庵通信春号が届きました。
「放歌高吟」はいつも楽しみにしているのですが、今回はとりわけ心に沁みるものがありました。
俳句のある暮らしを始めてやっと5年目。1年前までは句会に参加したこともなく、ただ一人で俳句を作り、組長の選のあるところに投句するという日々を送ってきました。
俳句の上達という点で、その方法は賢明ではなかったかもしれませんが、自分の納得するやり方で俳句と付き合っていきたいという気持ちに正直でありたかったのでした。今月号の「放歌高吟」の組長のお言葉は、そんなふうに俳句と付き合ってきた私を、強く支えて下さる大きな力のように感じました。感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。
作品十二句「雪はすでに」には戦慄が走りました。
ストーブや園長室といふ貧相
子ら叩き出す冬晴の園庭へ
山茶花のつぼみころころころ転生
園児らの声、子らを慈しみ育てることに大いなる喜びを感じる園長先生、そんな園長先生と志を同じくする若い先生たち、そんな景色が見えます。
鴨の尾や鉄色の波ひたひた来
ここで私は立ち止まざるを得なくなります。「鉄色の波」とは。
冬晴を行くべし我ら勇者の子
ああ、子どもらが腕白に歩いているのか。
そう安堵した途端、冬蝶が。
かの園生には冬蝶の渦巻ける
「かの園生」とは。
「冬蝶」はなぜ渦を巻くのか。
雪催これは鉱物由来の雲
「鉱物由来」とは。
空に存在する「鉱物」とは。
雪はすでに汚れて降てくるのです
「鉱物」によって汚れた雪か。
雪は美しい結晶たりえないのか。
吸ふ息に霙のまじる担送車
ここまで読むと、もう私の脳裏には、連日放映されているウクライナ、ロシアの惨状がフラッシュカードさながらに浮かびます。
吹きすさぶ荒星響声破笛丸
組長、喉を傷めてらっしゃったですものね。でもこの流れで読むと、響声破笛丸など存在し得ないウクライナの冷たい空に私の心は及びます。
土星の輪は冷たいこんにやくの臭ひ
こんにゃくにどこか錆びた金属の臭いを感じるのは私だけでしょうか。
錆びた鉄…。
錆びた戦車…。
老人がゐて冬蜂がゐて戦争
震えました。
恐ろしいと思いました。
同時に、組長の静かな怒りを感じました。
戦争は悪である、と信じない為政者、民衆、世論への怒りを感じました。
「冬蜂」のお句から再び「ストーブ」のお句へ戻ります。
もう私には、窓越しの暖かい日差し溢れる園長室の映像は見えません。「貧相」な園長室は荒らされています。破壊されています。「子ら」を「叩き出す」のは軍服を着た他国の兵士かもしれません。
戦争を選択する為政者は、「山茶花のつぼみ」が転がって転生したからなのでしょうか。または、「山茶花のつぼみ」が「ころころころ転生」すれば、クレイジーな為政者に今とは違う来世があるのでしょうか。
空には鉄の塊が、人々の暮らしを豊かにするためでなく、命を奪うために飛んでいる。
それによって「雪はすでに汚れて」降る。
「雪はすでに」の十二句を、何度も読み返しました。
俳句という一七音に込められた、深い思いを感じとりたいと思いました。
もしかすると私の読み方は間違っているのかもしれません。
間違っているのかもしれないけれど、私が感じたことをお伝えしたくお便りをした次第です。
自分のために俳句を詠む。
自分の目で見たもの、感じたことを詠む。
時にその句が誰かの心の琴線に触れ、誰かを救うかもしれない。
そんなふうに俳句と付き合っていきたい。
改めてそう思いました。
組長、本当にありがとうございます。
私もまたぽつぽつ頑張ります。
まだまだ寒い日が続きます。どうぞ皆さま、お身体にお気をつけて。
長文失礼致しました。
魚水より