「いつき組」らしさとは?
以前、
地元の新聞やらテレビのインタビュー番組やらで、「ユニークな活動を続ける現代俳句の夏井さん」みたいな言い方をされては(その現代俳句ちゅーのは、どういう意味や?)と首をかしげることがよくあった。
こう見えて(どう見えとんのかは知らんが)わたしゃ、
師系を辿っていけば、
黒田杏子の弟子、山口青邨の孫弟子、さらには高浜虚子の曾孫弟子ってことになる。伝統俳句の血バリバリにして、伝統の革袋にいかに新しい酒を注いでいくかに日々挑戦しているつもりである。
んで、その「現代俳句の夏井さん」って言葉について、
それを書いたり喋ったりした人に真意を聞いてみると、「今までの俳句のイメージとは違った感じがするので、現代俳句っていうのかなと思って・・」ぐらいの答えが返ってくる。
要は、私の作品のことを言ってるのではなく、全国の学校で「句会ライブ」をしたり、仲間たちと「俳句甲子園」を始めたり、様々な俳句イベントを企画開催したりする活動に対して、漠然とそのようなイメージを持っているだけ…ということで、実際のところ記事を書いた記者も、インタビューしたアナも、私の散文は読んでいるが句集はまったく読んでないことも分かった。(なーんだ、そういうことか)と理解した。
俳句の世界以外のそういう傾向はナルホド仕方ないことかもしれないが、俳句界でも「いつき組」という名前のイメージだけが一人歩きして、(なんぢゃほりゃ?)と目が点になることもある。
ある仲間たちが、総合誌主催の某俳句講座に武者修行のため参加した時のこと。
「どこに所属しているのですか」と問われ、
「いつき組です」と答えたら、
「君らは、『や・かな・けり』とかも使うんですか」と言われたらしい。(爆笑)
また別のある仲間が、少人数の超結社勉強句会に参加した時、
難解な句や、ふざけた句が合評の話題に上るたびに、「これは、いつき組的」「これは君の句だろ」と言われ続けたという。(勿論、当人の句ではない…苦笑)
たしかにウチの組員たちの俳号は変だ。
「あねご」だの「ポメロ親父」だの「めろ」だの「マイマイ」だの、変わってはいる。そして、俳句集団なのにスポレク部だの、落語鑑賞部だの、写真部だの、鉄塔路倶楽部だのいろいろ勝手に活動もしている。「俳人の俳人による俳人のための秋季大運動会」なんてものまでやってしまったりする。
が、が、が、それと作品とはまったく関係無い!
十亀わら・渡部州麻子・加根兼光が、
立て続けに三年連続「俳句界賞」を受賞した翌年の審査会(この年から急に公開審査でなくなったと記憶している…)で、審査員のお一人が「『いつき組』的ライトバースな句」という発言をなさっていて、(またイメージ論かよ〜)と苦笑いしたことを覚えている。
加根兼光が受賞した公開審査会の席上、審査員である歌人・岡井隆さんが受賞決定後に「異論ではありませんが一言」ということで、以下のような発言をしている。
「僕だけでしたが佳作一点。『銀色のポリバケツ』という作品が若い作者かなと思いまして、いい感性だと思っています。やはり、賞に該当する作品を決定するわけですから、俳句としての完成度も必要だと思いますが、皆さんが押された『露佛辞書』『まんぼう』というリアリズムの作品が悪いというわけではなく、外側から見ている人間からすると、僕はあえて変わった傾向の作品を押そうと意識して選をいたしました。」
この話の中に出てくる『銀色のポリバケツ』は、「いつき組」編集長であるキム・チャンヒの作品。そして、『露佛辞書』は加根兼光の作品だ。
こんな例を取り出してくるまでもなく、カンタンに「『いつき組』の句柄は〜」なんぞと一括りで語られるのには、もういい加減ウンザリしてしまった。
例えば、最近「いつき組」から句集を出したこの二人の句柄。まったく違う個性を放っている。
産卵管するどし敗戦日の近し 渡部州麻子
黒猫ひらと千度目の冬かもしれぬ
夭折や白桃に刃のうるほへる
天道虫目の後方に目の模様 高橋白道
お隣の糸瓜一つが欲しくつて
春の風邪いつも貰うてくれる人
わざと個性の違うものを抜き出したのではなく、まさにこれが二人の句柄の違いだということは、それぞれの句集『黒猫座』『涅槃図』を読み比べていただければ一目瞭然である。
たしかに○○調と呼ばれる独特の句柄を共有している結社も多いが、少なくとも「いつき組」の面々には、そのような一般論は当てはまらない。敢えて、なんらかの共通点を上げるとすれば・・
一人一人が、他の誰でもない自分であることを表現し、楽しむ!
・・ということかもしれない。
が、それって、一人一人の年齢も性格も性別も仕事も人生も表現したいことも違ってるのは当たり前のことで、他でもない「自分」を肯定し楽しまずして、なんのための俳句人生なんだよ〜と思う。
むしろ同じ結社に所属して似たような句柄の句を延々と作り続ける方が…実はオソロシイことなのかもしれないと、わたしゃ思うのだよ。
地元の新聞やらテレビのインタビュー番組やらで、「ユニークな活動を続ける現代俳句の夏井さん」みたいな言い方をされては(その現代俳句ちゅーのは、どういう意味や?)と首をかしげることがよくあった。
こう見えて(どう見えとんのかは知らんが)わたしゃ、
師系を辿っていけば、
黒田杏子の弟子、山口青邨の孫弟子、さらには高浜虚子の曾孫弟子ってことになる。伝統俳句の血バリバリにして、伝統の革袋にいかに新しい酒を注いでいくかに日々挑戦しているつもりである。
んで、その「現代俳句の夏井さん」って言葉について、
それを書いたり喋ったりした人に真意を聞いてみると、「今までの俳句のイメージとは違った感じがするので、現代俳句っていうのかなと思って・・」ぐらいの答えが返ってくる。
要は、私の作品のことを言ってるのではなく、全国の学校で「句会ライブ」をしたり、仲間たちと「俳句甲子園」を始めたり、様々な俳句イベントを企画開催したりする活動に対して、漠然とそのようなイメージを持っているだけ…ということで、実際のところ記事を書いた記者も、インタビューしたアナも、私の散文は読んでいるが句集はまったく読んでないことも分かった。(なーんだ、そういうことか)と理解した。
俳句の世界以外のそういう傾向はナルホド仕方ないことかもしれないが、俳句界でも「いつき組」という名前のイメージだけが一人歩きして、(なんぢゃほりゃ?)と目が点になることもある。
ある仲間たちが、総合誌主催の某俳句講座に武者修行のため参加した時のこと。
「どこに所属しているのですか」と問われ、
「いつき組です」と答えたら、
「君らは、『や・かな・けり』とかも使うんですか」と言われたらしい。(爆笑)
また別のある仲間が、少人数の超結社勉強句会に参加した時、
難解な句や、ふざけた句が合評の話題に上るたびに、「これは、いつき組的」「これは君の句だろ」と言われ続けたという。(勿論、当人の句ではない…苦笑)
たしかにウチの組員たちの俳号は変だ。
「あねご」だの「ポメロ親父」だの「めろ」だの「マイマイ」だの、変わってはいる。そして、俳句集団なのにスポレク部だの、落語鑑賞部だの、写真部だの、鉄塔路倶楽部だのいろいろ勝手に活動もしている。「俳人の俳人による俳人のための秋季大運動会」なんてものまでやってしまったりする。
が、が、が、それと作品とはまったく関係無い!
十亀わら・渡部州麻子・加根兼光が、
立て続けに三年連続「俳句界賞」を受賞した翌年の審査会(この年から急に公開審査でなくなったと記憶している…)で、審査員のお一人が「『いつき組』的ライトバースな句」という発言をなさっていて、(またイメージ論かよ〜)と苦笑いしたことを覚えている。
加根兼光が受賞した公開審査会の席上、審査員である歌人・岡井隆さんが受賞決定後に「異論ではありませんが一言」ということで、以下のような発言をしている。
「僕だけでしたが佳作一点。『銀色のポリバケツ』という作品が若い作者かなと思いまして、いい感性だと思っています。やはり、賞に該当する作品を決定するわけですから、俳句としての完成度も必要だと思いますが、皆さんが押された『露佛辞書』『まんぼう』というリアリズムの作品が悪いというわけではなく、外側から見ている人間からすると、僕はあえて変わった傾向の作品を押そうと意識して選をいたしました。」
この話の中に出てくる『銀色のポリバケツ』は、「いつき組」編集長であるキム・チャンヒの作品。そして、『露佛辞書』は加根兼光の作品だ。
こんな例を取り出してくるまでもなく、カンタンに「『いつき組』の句柄は〜」なんぞと一括りで語られるのには、もういい加減ウンザリしてしまった。
例えば、最近「いつき組」から句集を出したこの二人の句柄。まったく違う個性を放っている。
産卵管するどし敗戦日の近し 渡部州麻子
黒猫ひらと千度目の冬かもしれぬ
夭折や白桃に刃のうるほへる
天道虫目の後方に目の模様 高橋白道
お隣の糸瓜一つが欲しくつて
春の風邪いつも貰うてくれる人
わざと個性の違うものを抜き出したのではなく、まさにこれが二人の句柄の違いだということは、それぞれの句集『黒猫座』『涅槃図』を読み比べていただければ一目瞭然である。
たしかに○○調と呼ばれる独特の句柄を共有している結社も多いが、少なくとも「いつき組」の面々には、そのような一般論は当てはまらない。敢えて、なんらかの共通点を上げるとすれば・・
一人一人が、他の誰でもない自分であることを表現し、楽しむ!
・・ということかもしれない。
が、それって、一人一人の年齢も性格も性別も仕事も人生も表現したいことも違ってるのは当たり前のことで、他でもない「自分」を肯定し楽しまずして、なんのための俳句人生なんだよ〜と思う。
むしろ同じ結社に所属して似たような句柄の句を延々と作り続ける方が…実はオソロシイことなのかもしれないと、わたしゃ思うのだよ。
- 2008.09.30 Tuesday
- 俳句
- 10:45
- comments(6)
- -
- by