「選句」という仕事
大阪の隠れ家に滞在しています。
あっという間に新年度が始まり、そしてもう4月が終わり…なんという慌ただしさでしょう。
「新・折々のギャ句」の審査会もしないといけないのですが、金子どうだ先生とのスケジューリングがうまくいかず、延び延びになっております。申し訳ない。「仕事だ」と言い張る、どうだ先生の時間をなんとかゲットできるよう努力してみますので、もう少しお待ち下さい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、匿名?協会の皆さんへのお返事をかねて、「選句」についてワタクシなりの考え方を一言(というには、少々長いか。がははは!)
いろんな場面での「選句」の仕事をさせていただいておりますが、各種の「俳句大会」にしても「テレビ・ラジオの俳句番組」にしても「ネット・iモードの俳句サイト」にしても、最も悩み抜くのは、最優秀句として推す作品の質です。自信をもって推せる「最後の一句」を見つけだせるかどうか。それさえ見つければ、任務の最も重要な部分をクリアできるわけですから、当然のことながらこれはもう毎回の真剣勝負です。
例えば、iモード「俳句の缶づめ」金曜日作品にしても、俳句マガジンいつき組「くらむぼんが笑った」ページにしても、「最後の一句」がバシッと見つかったときの快感ったらないわけです! 出会った瞬間、すぐさま鑑賞文を書きたい衝動が溢れてくる! あッ、きたッ!って感じ。「最後の一句」の手応えは、剛速球や絶妙に巧い変化球を受けた時のキャッチャーミットの感触に似ているのかもしれません。
そんな句に出会ったら、ワタクシの脳髄?(海馬かもしれないけど)は、ピキピキ悦びます。うっとりと溶けそうになることもあれば、ぷるぷる震えたり、爆発的に弾けることもあります。選句作業は、集中力の持久走。自分が俳句を作る10倍の忍耐力を要しますが、自分の脳を悦ばせてくれる一句にめぐりあった瞬間の快感が、この作業の原動力なのです。
私の脳を悦ばせてくれる句はどれも必ず、「想定外のオリジナリティー」と「想定外のリアリティー」を合わせ持っています。大量の投句の山から、この二つの条件に見合ったものを探し出し、その条件をクリアした作品の中の、さらなるベスト一句。これが「最後の一句」の条件です。
「なにも想定外うんぬんまで言わなくても、全投句の中で一番好きだったものを推せばいいんじゃないの?」というお考えもあるとは思いますが、もし私が投句者の立場だったとしたら…と、ハタと考えるわけです。
投句者として「想定内」の作品が「最後の一句」に決まったとしたら、わたしゃ、そっちにこそ憤慨すると思うのです。「こんなのが選ばれるんなら、もうここには投句しなくていいや」なんて思われるのは嫌なので、(選者として)必死で「最後の一句」を探します。「最後の一句」の評価基準を満たす「絶対評価」、あくまでもこれを貫く努力をするのが、選者としての誠意だと思うのです。
何がツライって、どんなに探しても「あッ、きたッ!」って手応えにめぐり会えない時です。キャッチャーミットがパシッ!と鳴らない時。うーむ…これはきっと見落としたに違いないと、もう一度印をつけた句を見直します。それでも見つからない時は、「きっとある!」と信じて全句を見直します。そこまでやってみても…見つからないときもあります。それは仕方がない。そういう時もある。
でもとにかく選者の務めとして「最後の一句」を決めなくてはいけない…となると、ここから苦肉の「相対評価」が動き出します。いくつかの候補作品を並べての、比較検討が始まるわけです。
選者が私一人であるときは、自分が納得するまで、この「相対評価」の検討が脳内で延々と行われます。自分が納得できないまま選評書いても、なんの説得力も無い。何よりも自分が気持ちワルイ…。これもまた忍耐力。黙々と考え続けます。
選者が複数である時。
文学的主義主張の違いをぶっ飛ばすぐらいの「絶対評価」価値の高い「最後の一句」が見つかっている時は、とてもスリリングな興奮する審査会になります。主義主張を真っ正面からぶつけ合いつつも、最終的な合意が成立するのは、全て作品が持つ力。真の「最後の一句」さえ見つかっていれば、刺激的で質の高い議論が生まれます。これもまた快感、そしてなんたって後味が爽やか!
が、審査会が「相対評価」に移ってくると、これはもうケンケンガクガクの泥沼。季語の本意の認識が違ってるのは当たり前、類想類句の把握が違っているのも当たり前、そもそも季語を季語として認めない…なんて立場もあるわけで、一見派手に議論しているように見えて、実は内容が噛み合わない議論。議論しても議論しても合意点の見いだせない議論。審査会は難航必至。そして最後はお決まりの挙手。どこの審査会も同じです。
先だってのワタシクの「『金曜日』レベルの一押しが見つからない」という発言に、匿名さんが「おうおうゆーてくれるじゃねえか!?」と思わず切り返してこられたお気持ち重々分かります。だって投句する側も、真剣に投句してるわけですから、「見つからない」なんて言われるとムッとするのは当たり前です。実に言葉足らずで申しわけなかったと思います。ごめんなさい。
私の「見つからない」発言は、
「絶対評価」における「想定外のオリジナリティー」と「想定外のリアリティー」を持った「最後の一句」が見つからなかったという意味であって、投句して下さった作品が皆ボロかった…なんて言いたかったのではありません。生き生きした作品はたくさんありました、楽しい作品もたくさんありました。それらの作品は皆、六千七百句の予選をくぐり抜けてくるだけの「(5音分の)オリジナリティーとリアリティー」を持った作品であるわけで、やはり私たちはそこを目指していくしかないと、改めて思うわけです。
| HGDT | 2009/04/28 2:00 AM |
以下ボツになったと思われる我が句です。後学のために一言頂けるとありがたいです。
1、良寛の隠れし小屋に春時雨
2、夜鷹呼ぶ小屋傾きて春の月
3、雨止みて古木に憩ふ白き蝶
4、天空にあると云う城蝶ぞ識る
HGDT君のこれらの作品の問題点も、「オリジナリティーとリアリティー」の追求であり、その内容を的確に表現する技術力を身につけることに尽きるのではないでしょうか。
「いつき組」の組員からは、「次にこの番組がある時は、もっと大々的に知らせ、番組当日はたくさんの人たちと一緒に生放送を見ながら、ワイワイ投句を愉しめる企画を考えよう」という声も出ています。メールが打てない人も、BSが見られない人も、みんなが参加できる工夫を考えはじめてくれてます。
そして今回の番組を企画してくれたスタッフたち。今までの古いスタイルを廃し、新しいものに変えるためには、水面下での大変な苦労と葛藤があったはずです。
かつて『俳句王国』という番組を立ち上げ、育て続けたプロデューサー・村重さんと当時の苦労を懐かしみつつお酒を飲むことがありますが、それは言葉に尽くしがたい闘いの足跡です。今回の『ニッポン全国俳句日和』のスタッフの皆さんもまた、同じような苦労を舐め、葛藤に立ち向かったはず。俳句を愛する人間の一人として、熱いスタッフの思いが大組織の理屈や都合の中で消されていかないことを強く願います。そのためにも、是非皆さんの声をNHKに届けて下さい。それが、「俳句を愛する」スタッフたちにとって、最も大きな援護射撃になるはずです。
そして、次回は皆で、「ニッポン全国俳句日和・ワイワイ投句祭りIN松山」?の企画も大いに楽しもうではありませんか!
あっという間に新年度が始まり、そしてもう4月が終わり…なんという慌ただしさでしょう。
「新・折々のギャ句」の審査会もしないといけないのですが、金子どうだ先生とのスケジューリングがうまくいかず、延び延びになっております。申し訳ない。「仕事だ」と言い張る、どうだ先生の時間をなんとかゲットできるよう努力してみますので、もう少しお待ち下さい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、匿名?協会の皆さんへのお返事をかねて、「選句」についてワタクシなりの考え方を一言(というには、少々長いか。がははは!)
いろんな場面での「選句」の仕事をさせていただいておりますが、各種の「俳句大会」にしても「テレビ・ラジオの俳句番組」にしても「ネット・iモードの俳句サイト」にしても、最も悩み抜くのは、最優秀句として推す作品の質です。自信をもって推せる「最後の一句」を見つけだせるかどうか。それさえ見つければ、任務の最も重要な部分をクリアできるわけですから、当然のことながらこれはもう毎回の真剣勝負です。
例えば、iモード「俳句の缶づめ」金曜日作品にしても、俳句マガジンいつき組「くらむぼんが笑った」ページにしても、「最後の一句」がバシッと見つかったときの快感ったらないわけです! 出会った瞬間、すぐさま鑑賞文を書きたい衝動が溢れてくる! あッ、きたッ!って感じ。「最後の一句」の手応えは、剛速球や絶妙に巧い変化球を受けた時のキャッチャーミットの感触に似ているのかもしれません。
そんな句に出会ったら、ワタクシの脳髄?(海馬かもしれないけど)は、ピキピキ悦びます。うっとりと溶けそうになることもあれば、ぷるぷる震えたり、爆発的に弾けることもあります。選句作業は、集中力の持久走。自分が俳句を作る10倍の忍耐力を要しますが、自分の脳を悦ばせてくれる一句にめぐりあった瞬間の快感が、この作業の原動力なのです。
私の脳を悦ばせてくれる句はどれも必ず、「想定外のオリジナリティー」と「想定外のリアリティー」を合わせ持っています。大量の投句の山から、この二つの条件に見合ったものを探し出し、その条件をクリアした作品の中の、さらなるベスト一句。これが「最後の一句」の条件です。
「なにも想定外うんぬんまで言わなくても、全投句の中で一番好きだったものを推せばいいんじゃないの?」というお考えもあるとは思いますが、もし私が投句者の立場だったとしたら…と、ハタと考えるわけです。
投句者として「想定内」の作品が「最後の一句」に決まったとしたら、わたしゃ、そっちにこそ憤慨すると思うのです。「こんなのが選ばれるんなら、もうここには投句しなくていいや」なんて思われるのは嫌なので、(選者として)必死で「最後の一句」を探します。「最後の一句」の評価基準を満たす「絶対評価」、あくまでもこれを貫く努力をするのが、選者としての誠意だと思うのです。
何がツライって、どんなに探しても「あッ、きたッ!」って手応えにめぐり会えない時です。キャッチャーミットがパシッ!と鳴らない時。うーむ…これはきっと見落としたに違いないと、もう一度印をつけた句を見直します。それでも見つからない時は、「きっとある!」と信じて全句を見直します。そこまでやってみても…見つからないときもあります。それは仕方がない。そういう時もある。
でもとにかく選者の務めとして「最後の一句」を決めなくてはいけない…となると、ここから苦肉の「相対評価」が動き出します。いくつかの候補作品を並べての、比較検討が始まるわけです。
選者が私一人であるときは、自分が納得するまで、この「相対評価」の検討が脳内で延々と行われます。自分が納得できないまま選評書いても、なんの説得力も無い。何よりも自分が気持ちワルイ…。これもまた忍耐力。黙々と考え続けます。
選者が複数である時。
文学的主義主張の違いをぶっ飛ばすぐらいの「絶対評価」価値の高い「最後の一句」が見つかっている時は、とてもスリリングな興奮する審査会になります。主義主張を真っ正面からぶつけ合いつつも、最終的な合意が成立するのは、全て作品が持つ力。真の「最後の一句」さえ見つかっていれば、刺激的で質の高い議論が生まれます。これもまた快感、そしてなんたって後味が爽やか!
が、審査会が「相対評価」に移ってくると、これはもうケンケンガクガクの泥沼。季語の本意の認識が違ってるのは当たり前、類想類句の把握が違っているのも当たり前、そもそも季語を季語として認めない…なんて立場もあるわけで、一見派手に議論しているように見えて、実は内容が噛み合わない議論。議論しても議論しても合意点の見いだせない議論。審査会は難航必至。そして最後はお決まりの挙手。どこの審査会も同じです。
先だってのワタシクの「『金曜日』レベルの一押しが見つからない」という発言に、匿名さんが「おうおうゆーてくれるじゃねえか!?」と思わず切り返してこられたお気持ち重々分かります。だって投句する側も、真剣に投句してるわけですから、「見つからない」なんて言われるとムッとするのは当たり前です。実に言葉足らずで申しわけなかったと思います。ごめんなさい。
私の「見つからない」発言は、
「絶対評価」における「想定外のオリジナリティー」と「想定外のリアリティー」を持った「最後の一句」が見つからなかったという意味であって、投句して下さった作品が皆ボロかった…なんて言いたかったのではありません。生き生きした作品はたくさんありました、楽しい作品もたくさんありました。それらの作品は皆、六千七百句の予選をくぐり抜けてくるだけの「(5音分の)オリジナリティーとリアリティー」を持った作品であるわけで、やはり私たちはそこを目指していくしかないと、改めて思うわけです。
| HGDT | 2009/04/28 2:00 AM |
以下ボツになったと思われる我が句です。後学のために一言頂けるとありがたいです。
1、良寛の隠れし小屋に春時雨
2、夜鷹呼ぶ小屋傾きて春の月
3、雨止みて古木に憩ふ白き蝶
4、天空にあると云う城蝶ぞ識る
HGDT君のこれらの作品の問題点も、「オリジナリティーとリアリティー」の追求であり、その内容を的確に表現する技術力を身につけることに尽きるのではないでしょうか。
「いつき組」の組員からは、「次にこの番組がある時は、もっと大々的に知らせ、番組当日はたくさんの人たちと一緒に生放送を見ながら、ワイワイ投句を愉しめる企画を考えよう」という声も出ています。メールが打てない人も、BSが見られない人も、みんなが参加できる工夫を考えはじめてくれてます。
そして今回の番組を企画してくれたスタッフたち。今までの古いスタイルを廃し、新しいものに変えるためには、水面下での大変な苦労と葛藤があったはずです。
かつて『俳句王国』という番組を立ち上げ、育て続けたプロデューサー・村重さんと当時の苦労を懐かしみつつお酒を飲むことがありますが、それは言葉に尽くしがたい闘いの足跡です。今回の『ニッポン全国俳句日和』のスタッフの皆さんもまた、同じような苦労を舐め、葛藤に立ち向かったはず。俳句を愛する人間の一人として、熱いスタッフの思いが大組織の理屈や都合の中で消されていかないことを強く願います。そのためにも、是非皆さんの声をNHKに届けて下さい。それが、「俳句を愛する」スタッフたちにとって、最も大きな援護射撃になるはずです。
そして、次回は皆で、「ニッポン全国俳句日和・ワイワイ投句祭りIN松山」?の企画も大いに楽しもうではありませんか!
- 2009.04.30 Thursday
- 俳句
- 19:17
- comments(6)
- -
- by