審査員の一人として
相手チームの句をけなす必要は全くない。シンプルで鋭い質問、相手の言葉を引き出す質問を投げてくれさえすればいいのです。投げられた質問に対する答えを聞けば、審査員たちは、その人そのチームの鑑賞力や理解力は分かってしまうのですから。(8月23日記事)
もし、高校生たちが次の一年間しっかりと勉強を重ね、知識と感受性を豊かに育てて、俳句甲子園に臨んでくれたとします。シンプルで鋭い質問の矢を次々に放てる実力をつけた高校生が集まってきたとします。私がいう「シンプルで鋭い質問の矢」とは、敗者復活戦で審査員13人が放つ、あのような質問です。
例えば、文法問題を想定して・・・
「ここに敢えて助動詞『し』を使った理由を教えて下さい」
「『会へば』ではなく『会はば』とした意図はいかがですか?」
「助詞の可能性として、「に」「を」「へ」と三つ考えられますが、なぜ「に」にしたのか、その意図を語って下さい」
・・・などの質問を高校生が発してくれるところまで育ったとして、その答えから相手チームの力量を正確に判断できる「審査員としてのワタクシ」であるのか?との自問。
たかが文法一つとっても、「審査員」として旗を握る以上は、自分を怠けさせてはいけないと肝に銘じます。高校生たちの一言一句、一問一答を聞き逃さないための集中力。即座に判断するための知識と決断力。「審査員としてのワタクシ」に小さな失敗があったとすれば、それをデータとしてインプットし、即座に切り替え修正していく精神力。
高校生が進化していく以上に、「審査員としてのワタクシ」も進化していかねばなりません。熱い夏を越える度に、高校生が進化し、オトナの俳人も進化していく。それが「俳句甲子園」へ託す願いであり、「100年俳句計画」が目指す志でもあります。
- 2013.08.31 Saturday
- 俳句甲子園
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